二葉太郎の恋愛、結婚、離婚、人間関係相談所

初めまして。二葉太郎です。みなさん、恋愛の悩み、結婚生活の悩み、人間関係の悩み、別に私が解決できるわけじゃないけど、匿名でぶっちゃけてみませんか?また、出会い、婚活などのサイト情報も突撃取材をやりながら、お伝えしていきます。

 この世の中、人間関係を避けて生きていくことはできません。良くいえば、人は一人では生きていけません。支えあって生きていくものであります。しかし、悪く作用してしまえば、心を痛めてしまい、この「ストレス」が原因で体を壊してしまうことも。。。そんな良い人の出会い、支えあい、また悪縁の解消、ストレス発散などなど、メンタルヘルスに関するさまざまな情報、商品をご紹介いたします。みなさん、「幸せ」に向かって歩いていきましょう!

 みなさん、こんにちは。二葉太郎です。

 いやいや、最近の歯医者さんは、明るいイメージで、先生も優しくて、痛かったらすぐに対処していただける、非常に素敵な場所に様変わりしていますが、私たちアラフォーが子供のころは、そもそも「小児歯科」というものが少なく、まさに恐怖そのものでした。


 しかし、昔の仮面ライダーとかを見ていると、子供たちの髪型と歯が、今とは全然違うなぁと痛感します。


 我々がガキの頃は、明らかに茶色から黒の混じった歯がたくさん生えているという、虫歯だらけの子供が多かったように記憶しています。

 さすがに大人の歯になる、小学校高学年では、あまり記憶がないのですが、幼稚園から小学校低学年のころは、そんな子供がざらにいました。



 そんな、二葉少年も、ご多分に漏れず、虫歯をたくさんこしらえておりました。

 今の子供は歯がキレイ・・・といったって、虫歯が進行すると痛いのは今も昔も変わりません。当然痛くなってきます。


 しかも、痛くなるのは時と場を選びません。夜でもいたくなると、おぼろげな記憶ですが、なんか、黄色い塗り薬みたいなものがあったように思います。

 当然一時しのぎですから、全然効かないのですが。


 そうすると、あの忌まわしき「歯医者さん」へGO!というわけです。


 当時、実家から歩いて行ける範囲に歯医者さんが1つありました。そこへ行っていたのですが、とにかく、先生が、こわもてのおっさんで、行くのがとてもとても・・いやでした。


 しかし、行かないと、この痛みは治まらない。。。渋々歯医者さんに行くと、治療室から響き渡る「あの」音。キュウィーーーーーーーーーーーーーン、ゴリゴリゴリゴリ・・・・。それと、歯を削られている被害者の断末魔・・・「ウァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン」

 
 待合室で、手に汗を握りながら、その戦慄の不協和音を、散々聞かされるわけです。そして、音が鳴りやんだかと思うと、先ほどまで、戦慄の不協和音を奏でていた少年が、憔悴しきった顔で出てきます。


 そこから、私の中で「ゴング」がなるわけです。「次は俺だ・・・・。」

 
 そんなことを考えていたら、二葉少年の名前を呼ぶ、看護師さんの声が・・・。「来た、ついに来た。」

 
 二葉少年には、死刑執行台にも見える、あの、独特のフォルムをした椅子に腰かけて、ウィーーーーンという音とともに仰向けにされると、もう、まな板の上の鯉よろしく、渋々口をあけます。

 
 すると、こわもての先生が一言「ひどいな・・・・」。そして、真っ先に「あの」音が・・・・。「キュウィーーーーーーーーーーーーーン、ゴリゴリゴリゴリ・・・・。」


 二葉少年も、「痛いけど、泣いてたまるか!!!!!!」という強い気持ちをもっていたので、ギリギリあの不協和音は奏でなかったものの、あの、神経に直接ゴリゴリが当たるときの、全身を貫くような痛みが走ります・・・。それまで痛かった歯の鈍痛とはおおよそ違う「あの」痛みです。


 口を開けたまま、なんか水みたいなものが口にそそがれ、歯の削りカスをゴクゴク飲みながら、必死で「先生、痛い・・・・・痛い・・・・。」と二葉少年は先生に訴えます。

 すると、こわもての先生は一言「痛くない!!!!!!」


 えーーーーーーーーっ!!!これの痛みは俺が判断するんちゃうんかい!!!と思わず突っ込みたくなるような一喝。

 
 二葉少年は、「痛い」といい、それを先生が「痛くない!」と全面否定されたら・・・。もうこちらはなすすべがありません。痛かろうがどうしようが、とにかく耐えるのみ。死にかけの魚よろしく、体をヒクヒクさせながら、地獄の時間を過ごします。そう1分が1時間に思えるほどの長い時間を・・・・。


 そして、治療終了。先生が、「今度はここを治療するから。明後日にでもおいで」と、再度死刑宣告


 二葉少年も、憔悴しきった顔で治療室を後にします。


 ここまでを読んでいただいた方は、一つ疑問に思われるかもしれません。逆にアラフォーの私と同じ世代の方に問いかけたいのですが、「麻酔」ってやってくれてました?


 私は、子供のころ、「抜歯」と「抜髄」の時以外、麻酔を受けたことがありません。これって、あの時代は当たり前?だったのでしょうか?それとも、私が行っていた歯医者さんがいわゆる、元阪神のエースだったのでしょうか?(正解は「藪」投手です。)

 それ以来、というか、子供のころから、歯医者は極力行きませんでした。痛みの限界まで我慢していくという図式です。


 しかし、子供をもってからは、小児歯科に連れていくケースも出てきて、私も思い切っていってみると、「あぁ、やさしい・・・・」という先生ばかりです。


 今の子供たちはいいですね。あと、昔はやたらと歯を抜いていた記憶があるのですが、今では予防歯科というカテゴライズもできるくらい、歯を残すよう努力なさっているようです。「8020運動」(80歳で20本の歯を残しましょう!)というのがあったくらい、世の中変わったなぁと思う今日この頃でした。


 今では、定期的にメンテナンスしています。これはだいぶ後で話しますが、20代の頃、歯医者さんでいい思いもしたので、それはまた後日・・・・。
 

 

 みなさん、こんばんは。二葉太郎です。

 
 第6話は、引き続き、二葉太郎の幼少期のエピソードから。


 私が、たしか6歳のころだったと思います。つまり、1981年の初夏の出来事、私は風邪をひいたようで、そのまま微熱がしばらく続きました。今でいう、「マイコプラズマ肺炎」が流行していたのです。

 
 それまでも、水ぼうそうなどはかかった経験がありましたが、ここで初めて入院を経験する羽目になりました。場所は久留米市内にある、国立病院。今は大学医療センターになっているようですが、久留米の陸上自衛隊幹部候補生学校の正面に位置する病院です。

 入院生活で覚えていることといえば、病室は子供だらけで、みんな肺炎。点滴の本数で競い合ってたバカガキでした。病院食もおいしく、また、朝10時と午後3時におやつもあるので、なんだかんだで楽しかった覚えがあります。また、点滴が外れてからは、プレイルームという、子供の遊び場も充実しており、そこに入り浸っていた覚えがあります。

 ただ、欠点は、夜9時に消灯という点でした。点滴を受けていたころは、微熱もまだあり、ほとんど動いていないせいか、夜9時になってもなかなか眠れません。ベッドが窓際だった覚えがあるので、信号が青から赤に変わったりするのをぼーーーーっと見ながら、過ごしていた記憶があります。

 幼少期の貴重な体験は2週間ちょっとで終わりました。幼稚園はもう夏休み。私は楽しんでいたのですが、家族は大変だったろうなと思います。毎日交代で母と祖母が泊まってくれていました。

 ホントに感謝です。
 

 みなさん、こんばんは。二葉太郎です。

 まずは、第4話の答えから。昨日の選択肢をおさらいすると、

 ①レジのおばちゃんに「これとっといて!」といって、おもむろに家へ駆けだして足りないお金を取りに行った

 ②おもむろに、お菓子を握りしめてそのまま家へ駆けだして、足りないお金を取りに行った

 ③その場でお菓子を開けて、もりもり食べ始めた。

 ④その場でうずくまって泣き出した。

 ⑤もう一人の友人に残金を聞いて、足りないので、そっとポケットに入れて、何もなかったかのように店を出た。

 正解は、②です。まぁ、大方見当は付いたかと思いますが・・・。③だったらいちばんやばいですよね。⑤は見事なくらい万引きです。さすがにそこまでの知恵もテクニックもありませんでした。


 さて、今日は、二葉少年の別のエピソード。


 何を隠そう、私は、幼稚園時代に3回も交通事故に遭っています。それも、ほぼ同じ場所で。いかに学習能力がないかがうかがえます(-_-;)

 特に2回目は、自分でもよく飛びました。

 しかし、不思議なもので、未だと飛び出してきた子供をはねてしまった場合、いくら子供が勝手に飛び出してきたとしても、運転手としての義務を怠ったら、大変なことになるのですが、幼少期は、自分がはねられたのに、なんかものすごく悪いことをしたような気になって、3回とも逃げ足してしまいました。

 今からすれば、当然運転手も追いかけてきて当然なのですが、それは「大丈夫????」という意味でわざわざ追いかけてきてくれたのに、当時の自分としては、追いかけられて、捕まえて、ボコボコにされると思い込んでいたのでしょう。

 にげににげまくりました。

 かなり短期間で3回はねられたので、その道路は、しばらく「二葉少年飛び出し注意!」道路となっていたことでしょう。

 じゃぁ、けがは?と思われる方も多いと思います。これが、軽いからでしょうね。足元に擦り傷等がある程度で、ほとんどけがというけがはありませんでした。

 不幸中の幸い?というか、明らかに注意力に欠けた幼少期でした・・・・。



 


 みなさん、こんにちは。前回から、幼少期のエピソードを書いております。

 今日のお題は「万引き」????なのです。

 確か、5歳のころだと記憶しているのですが、当時の私は、というか今もそうなのですが、暇さえあれば、行ったことのない場所に行くことが一つの楽しみでした。もう気分は「川口浩探検隊」です。

 その日も、友達と2人で、探検隊よろしく行ったことのないところへ向かって、もくもくと歩いていました。そうすると、道路わきに小さめのスーパーがありました。

 とりあえず入ってみようと、我々探検隊はその店に潜入しました。いろいろと物色するうちに、所詮5歳です。とうぜんいろんなものがほしくなってきます。

 中でも、あっこれ欲しい!というものを見つけて、おもむろにレジへ・・・・。○○円です!といわれて、私はポケットの中に手を入れてみました。すると、お金が足りません。

 当然もう少し大きくなれば、「お金が足りません、すみません・・・」といって、品物を返して、その店を去るのが常套手段ですが、二葉少年がとった行動は次のうちどれでしょう?


 ①レジのおばちゃんに「これとっといて!」といって、おもむろに家へ駆けだして足りないお金を取りに行った

 ②おもむろに、お菓子を握りしめてそのまま家へ駆けだして、足りないお金を取りに行った

 ③その場でお菓子を開けて、もりもり食べ始めた。

 ④その場でうずくまって泣き出した。

 ⑤もう一人の友人に残金を聞いて、足りないので、そっとポケットに入れて、何もなかったかのように店を出た。


 さぁて、正解はどれでしょうか?

 答えと続きはまた明日。

 



 





 

 みなさん、こんばんは。二葉太郎です。


 今日は「二葉太郎物語」の第3話です。しばらくは、幼少期のエピソードを中心にお届けしたいと思います。


 二葉太郎は、父親、母親、祖母と自分の4人家族で暮らしていました。おばあちゃんがいたので、保育園に行く必要はありませんでした。もちろん、この頃は、保育園と幼稚園の違いもよくわかっていませんでしたが・・・。


 この頃、覚えているエピソードがいくつかあります。まずは、幼稚園での激走です。


 現在の二葉太郎を知っている方からすれば、想像もつかないと思いますが、あの頃の自分は、痩せていて、偏食ですぐに風邪をひいてしまう、弱い子でした。しかし、頭はやたらと大きく、ちょいと小顔のモデルさんよりもすでに頭囲が上回っていると思われます。


 自分が子供をもって見てわかったのですが、確かに家の中でずっと暮らしていて、いきなり保育園やら幼稚園やらに行き始めると、いろんな病気を一通り経験するので、仕方のないことかもしれませんが・・・。


 幼稚園には年少から通い始めて2年間通っていました。年少組か年長組かは忘れてしまったのですが、運動会でのメインといえば、かけっこです。上記のとおり、当時は運動神経がないのか?と思われるくらいひ弱でしたので、早くはなかったのですが、それなりに一生懸命走っていました。


 当時、刑事ドラマ、特に「太陽にほえろ!」が流行っていたので、気分はホシを追いかけるデカの気分でいいテンションで走っていました。

 そして、激走の末、第4コーナーを回っている時に、遠心力に耐えきれず、ずっこけてしまいました。

 
 上記の私の風体から想像していただければ、容易なことかもしれませんが、体はひ弱で頭がでかい・・・。ということは、普通の人に比べて重心の高さが若干高かったものと推測されます。


 したがって、当然といえば当然なのですが、頭からずっこけてしまいます。その結果、左ほほを激しくすりむくというけがを負ってしまいました。手足はほぼ無傷。


 しばらくの間、左ほほには傷跡というか、ブラマヨの吉田さんよろしくクレーターが残っていました。大学生以降太ったので、顔面も肉がついたため、左ほほの皮が伸びたのか、クレーターは確認できなくなりましたが・・・。


 昔から、流血騒ぎだけは事欠かない「二葉太郎」でした。


 この物語の中で、流血騒ぎは多数出てきます。お楽しみに!


 次回は、何が飛び出すか・・・お楽しみに!
 
 

 みなさん、こんばんは。二葉太郎です。今年で42歳になります。第1話はたくさんの写真を乗せて、どさくさに紛れて私の写真を掲載してしまいましたが、内容的には、1975年8月6日に久留米市で生まれた・・・・という情報だけで第1話をやっつけるという暴挙に出てしまいました。

 この辺から少しまじめに。

 二葉太郎の幼少期なのですが、父親も母親も共働きで、もっぱらばあちゃんと一緒にいる時間が圧倒的に多かったです。つまりは、ばあちゃん子であったわけです。

 これは、幼少の頃で写真でしかわからないのですが、私が1歳ごろは、天然パーマだったようで、髪の毛がチルチルしてました。

 まぁ、ラジオの相方のイナゾーに比べればソフトな天然パーマだったようですが、記憶があるころには、ストレートになっていたので、その間何があったのかはわかりません・・・・。

 ひょっとして、ショッカーの手によって改造人間にさせられたのかもしれません。何しろ記憶がないもので・・・。

 こんなことってあるのでしょうか?なんか、坊主にすると髪質が変わるということは聴いたことがあるのですが、写真でしか記憶がないので、いつの間にかストレートになっていました。

 自分が覚えている最も昔のことは、確か3歳のころだったと思いますが、居間で暴れていたとき、足を滑らせて、机に歯を思いっきりぶつけて、歯がおれた記憶があります。

 思い起こせばそれが最も古い記憶だと思います。

 しかし、髪質がこうも大きく変わるのは不思議でなりません。

 そんな幼少期でありました。次回からは、自分の記憶に基づいていくつかのエピソードをご紹介します。

むかーし、昔あるところに・・・・ってそんなに昔ではありません。

 今から41年ちょい前、福岡県久留米市に大きな岩が生まれました。その岩はまるで霊魂でも宿っているようでした・・・・って孫悟空=堺先生が生まれるわけでもないので、すみません。また脱線してしまった。

 
 うんんんんっ。改めて、1975年(昭和50年)8月6日に、福岡県久留米市御井町の「園田産婦人科」で、二葉太郎は誕生してしまいました・・・。

 ちなみに、8月6日生まれの有名人をいかに羅列します。

 1909年(明治43年)8月6日:原ひさ子さん(女優)

原久子

 1930年(昭和5年)8月6日:荒川博さん(元プロ野球選手、王貞治氏の一本足打法の産みの親)

荒川博

 1946年(昭和21年)8月6日:堺正章(歌手、タレント)
堺正章

 1946年(昭和21年)8月6日:三遊亭好楽(落語家)
三遊亭好楽

 1958年(昭和33年)8月6日:辰巳琢朗(俳優、タレント)
辰巳琢朗

 1960年(昭和35年)8月6日:森脇浩司(元プロ野球選手、オリックスバファローズ元監督)
森脇浩二

 1965年(昭和40年)8月6日:古田敦也(元プロ野球選手、東京ヤクルトスワローズ元監督)
古田敦也

 1970年(昭和45年)8月6日:秋田豊(元サッカー選手)
秋田豊

 1971年(昭和46年)8月6日:丸岡いずみ(元日本テレビアナウンサー)
丸岡いずみ

 1971年(昭和46年)8月6日:ほっしゃん。(芸人、タレント)
ほっしゃん

 1975年(昭和50年)8月6日:さかなクン(タレント、東京海洋大学名誉教授)
さかなくん

 1975年(昭和50年)8月6日:二葉太郎(ポッドキャスター、自称宇宙人)
二葉太郎

 1979年(昭和54年)8月6日:奥菜恵(女優)
奥菜恵


 なんか、どさくさに紛れて、二葉太郎を入れてしまいましたが、こうして、二葉太郎は誕生したのでした・・・。


 























 みなさん、こんばんは。二葉太郎です。

 
 だいぶ遅れましたが、私二葉太郎の半生記について書きたいと思います。この中で、時代と社会的な問題がつぶさに出てまいります。この点については、独自の判断でいろいろと書いていきますし、既に記事にしている内容もあります。

 そんな感じで見てください。


 また、人生の選択肢の部分は別建てで書いていきたいと思います。その辺もお楽しみに。


 それでは始まり始まり!というか、明日から本格的にスタートです。明日からは物語テイストになっていますので、説明はこの辺で・・・・。

 みなさん、こんばんは。


 明日から、二葉太郎作、長編半生記を書き続けたいと思います。


 この人生を友人に大まかに話したところ、追体験は絶対にしたくないをおっしゃっていました・・・。そんな二葉太郎の半生記。まぁ、内容的には若干フィクションも入りますがほぼ実話です。

 お楽しみに!・・・・・

 みなさん、こんばんは。二葉太郎です。

 女性が好きな男性に出す「ブロックサイン」の今日は4つ目です。

 1つ目、3つ目は、アメブロに記載中。良かったら両方とも見ていただけると有難いです。


 さて、今日はこちら!

 好きな男性に質問攻めする


 これは、ある意味男女共通かもしれません。「この人いいな」という気持ちがあれば、これを確実なものにしたいという欲求が出てくるのは当たり前。
 
 それじゃぁ、どーすればいいの?ということになると、なんとか話す機会をつくるか、その機会までまって、できるだけその人の近くにいって、少しでも個人情報を聞き出してやる!!!という感じになるのではないでしょうか?


 私が参考にしている本では、「恋をしている女性はきれいになります」なーーーんて書かれておりますが、恋をしている男性は果たしてかっこよくなるのでしょうか?

 そういう点では、女性の方が変わるアイテムが多いので、例えば女性が男性に「髪の毛は短い方がすき?」とかって聞かれて、うん!というと、しばらくしてショートにしてくるとかだったら、もう間違いないですね。

 いいですねぇ、こういう話題は妄想がふくらむし、なんだか中学、高校の青春時代を思い出すではありませんか!!!!

 あっ、そういえば、おれ、中学、高校、男子校やった・・・・。わしゃホモか!!!!

 皆さんの大半は、でもこの時代の懐かしい経験を思い出されるのではないでしょうか?ええなぁ。。。。

 でも、会社などでもこういう機会はたくさんありそうですね。

 ブロックサインに疎い人は、このブログをしっかり読んで、明日から参考にしてみてください!立ち上がれ!「草食系男子!!!」
 


 

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